現在はオンラインビジネスが主流になりつつあります。しかし、だからといってオフラインビジネスをないがしろにすることはできません。これからは、オンライン・オフラインのバランスを取りながら、それらを共存・融合させることが必要です。
逆説的ですが、ハイテク化が進む世界では、ハイタッチ(人間的な触れ合い)が重要性を増し、それが差別化の要因になるからです。
顧客エンゲージメントを築くためには、オフラインサービスが欠かせません。
新たな顧客層、つまり将来の多数派となるデジタルネイティブも例外ではありません。
デジタルツールやデジタルサービスを使いこなしながらも人とのつながりではオフラインを求める、そんな彼らの動向が調査結果からも窺えます。
こうした状況の下、多くのブランドがオンライン販売を補完するために実店舗を構えるなど、さまざまな工夫を凝らしています。
その中でもザッポス(Zappos)のコール・センターが提供するサービスは、もはや伝説的ともいえる成功例。
そうした事例を交えながら、デジタル時代におけるオフラインサービスの動向を探り、新たな顧客層を見据えたマーケティングの在り方について考えます。
高度なハイテク化時代におけるハイタッチの重要性
現在はインターネットが世界中に張り巡らされ、地球上の人々がつながっています。
こうした顧客同士のつながりによって、マーケットは大きく変化しつつあります。
現在は、誰もがモバイルでつながり、その集合知を利用して、よりよい購買決定ができる時代なのです。
顧客は互いにコミュニケーションをとり、オンライン・オフライン両方でブランドや企業について語り合う。そして、つながっている仲間たちに、アドバイスやレビューを求めます。
こうした時代にあって、オンラインとオフラインの世界はやがて融合するだろうと推測するのは、マーケティング論の権威、フィリップ ・コトラー博士です。
新たな顧客層、デジタルネイティブはデジタルとアナログを使い分ける
コトラー博士の著書『コトラーのマーケティング4.0』からこうした動向を追ってみましょう。*1
博士は、最高の顧客体験を提供するためにはオンラインとオフラインの共存が必要だと述べています。
なぜなら、ハイテク化が進む世界では、デジタルサービスの提供・利用が進む反面、ハイタッチが新しい差別化要因になるからです。
それは新たな顧客層の特性によるもの。
新たな顧客層とは、生まれたときからインターネットやコンピュータのある環境で育った「デジタル・ネイティブ」と呼ばれる世代です。
彼らは近い将来、社会のマジョリティに、そして中心的な顧客層になります。
この世代はさまざまなデバイスを使って、いつでも効率的に買い物をすることができます。
しかし、その一方で、彼らはハイタッチを好み、頻繁にコミュニケーションを取る。
そして、企業やブランドより、友だちや家族のネットワークの方を信頼する傾向があると博士は言います。
ここで、国内のデジタルネイティブを対象にした調査を通して、以上のことが日本の同世代にも当てはまるかどうか確認してみましょう。*2
電通デジタルが15~34歳の男女を対象に行った調査によると、多くの人が「サブスクリプションサービス」や「オンライン対話サービス」を利用しており、「決済」や「動画配信サービス」といったデジタルサービスを今後も引き続き利用していきたいと回答しました。
その反面、ライブや飲み会などはアナログの方がいいと答えた人が70%を超えています(図1)。
図1 コロナ禍で利用したサービスの継続意向
出典:電通デジタル(2020)「デジタルネイティブ世代は “好きを極める消費”へシフト ―「コロナ禍におけるデジタルネイティブ世代の消費・価値観調査」実施―」p.4
https://www.dentsudigital.co.jp/release/DD2020037_0928.pdf
デジタルサービスによる効率化とリアルでのつながり。この調査結果から、デジタルとアナログの使い分けが二極化していることがみてとれます。
コトラー博士の言う新たな顧客層の特性は、日本のデジタルネイティブにもあてはまるのです。
ハイタッチを提供するマーケティング
こうした状況をいち早く察知し、マーケティングに生かしている企業の例をみていきましょう。*1
バーチボックスは美容製品の小売をオンラインで始めましたが、オンライン販売を補完するために実店舗を構えました。顧客に個別のアドバイスを提供するために、店内に数台のiPadを置き、パーソナライゼーション(個々人への最適化)を行っています。
上述のように、現在は誰もがモバイルでつながり、口コミやアドバイスなどの集合知を活用して購買決定をしています。つまり、私たちが個別に行っていると思っている消費行動は、実際には社会的なものなのです。
こうして社会化すればするほど、逆に自分だけに特化したものがほしくなる。パーソナライゼーションも重要なポイントなのです。
百貨店のメイシーズは、店内のさまざまな場所にアップルのiBeacon(Bluetoothのブロードキャスト通信を利用した通知装置)を設置しています。
顧客は特定の売り場を通り過ぎるときに、iPhoneのアプリを通じて、自分の買い物リストのリマインダーや割引の知らせを受け取ったり、ギフトに適した製品をすすめられたりします。
こうしたデータは次第に蓄積され、個々の顧客のプロフィールに合わせてパーソナライズされていきます。
インターネットが登場する前にはマーケティングの根幹だった伝統的なヒューマン・インターフェイスが、iBeaconなどのセンサー技術によって補完されているのです。
イギリスの百貨店チェーン、ジョン・ルイスのソファースタジオが提供するサービスは次のようなものです。
3Dプリントされたミニチュアのソファーの中からモデルを選び、そのミニチュアを好みの生地と一緒にコンピュータ・スクリーンの前に置く。すると、出来上がったソファーがどうなるかがスクリーン上で見られる。
これは顧客にとって楽しい経験になります。
このように、オンラインとオフラインの要素を統合した顧客体験をどうやって提供するか、それが現在のマーケティングの重要な課題なのです。
ザッポスを成功に導いたオフラインサービス
オンラインで靴を買うのはなかなか厄介なことです。サイズが合うかどうか、履き心地がいいかどうかは、実際に靴を履いてみないとわかりません。
靴や衣料品の通販会社ザッポスは、コール・センターの心のこもった対応を非常に大切にしています。コール・センターのスタッフが顧客に寄り添うことができれば、顧客はそれだけで安心するからです。
伝説のエピソード
語り継がれているサービスがあります。*3
2007年、ある人気ブロガーによって投稿されたブログが、インターネット上であっという間に拡散し、感動の渦を巻き起こしたエピソードです。
彼女は病気の母親のためにザッポスから複数の靴を買いました。
ところが、母親の病状は間もなく悪化。その靴を履くこともなくこの世を去ってしまいます。
悲しみの中、ザッポスから、購入した靴の具合を尋ねるメールが届きました。
傷心の彼女は、やっとの思いで経緯を説明するメールを書き、必ず返品するのでしばらく待ってほしいと伝えました。
すると、すぐにザッポスから、「宅配の集荷サービスを手配するので、ご心配なく」という返信がありました。
通常は、返品する場合、顧客は自分で荷物を集荷所に持ち込まなければなりません。
そのルールを曲げての手配でした。
こうした心のこもった対応に彼女は驚き、感謝の気持ちが湧いてきました。
しかし、ことはこれでは終わりません。
翌日、彼女の元にお悔やみの花束が届いたのです。
ザッポスからでした。
「感極まって、どっと涙がこぼれました。人の親切にはもとから弱い私ですが、今まで人様からしてもらったことのなかで、これ以上に心を打たれたことを思い出せません。もし、ネットで靴を買うのだったら、ザッポスから買うことをおすすめします」
彼女のブログはこう締めくくられていました。
オフラインサービスこそが売り物
こうした対応はザッポスのマニュアルによるものではありません。そもそもザッポスにはマニュアルがないのです。*3
受け答えや言葉遣いを示すコール・スクリプトさえありません。
個々の顧客の問い合わせに対して、どのような対応をするかは、電話に出たコ―ル・センターのスタッフに任されています。
スタッフは、あくまでも1人の人間として、1人ひとりの顧客と向き合うのです。
したがって、顧客や状況によってサービスの形態は異なります。
前述のブロガーのために集配の手配をしたのも、花を贈ったのも、彼女に対応したスタッフの判断でした。
その結果、生まれたのが前述のような顧客の感動です。
ザッポスのCEOはこれを「幸せのデリバリー」と呼んでいます。
ザッポスにとって、こうしたサービスは「おまけ」でも「コスト」でもありません。
サービスこそが売り物。サービスはブランドの要であり、顧客ロイヤリティを築くための投資なのです。
そうしたポリシーの下、コール・センターの対応最長記録は7時間半。顧客を満足させるためなら、ひとつのコールに何時間かけてもとがめられません。
もし、顧客が注文した靴が欠品だったら、スタッフは競合サイトを検索して、その商品が買えるサイト名とそこでの金額を教えます。
ザッポスのCEOは言います。
「お客さまは、『何をしてくれたか』は覚えていないかもしれない。でも、『どんな気持ちにさせてくれたか』は決して忘れない」と。
ザッポスにとっては「顧客の感動体験」こそが売り物なのです。
現在、ザッポスはアマゾン傘下に入っていますが、アマゾンの買収提案にザッポスが合意したときの絶対条件は「買収後も独立した事業体として経営、運営を行う」ことでした。*3
現在もザッポスのウエブサイトには、以前と変わらぬポリシーが掲載されています。*4
顧客を呼び込むオフラインサービス
いい体験をした顧客はリピーターになり、友人や家族にそのことを話し、あるいはSNSに投稿します。
前述のように、顧客は互いにコミュニケーションをとり、ブランドや顧客について語り合い、つながっている仲間たちに、オンライン・オフラインの両方でアドバイスやレビューを求めます。
新しい顧客層であるデジタルネイティブは、 商品を検討するとき、自身で日常的に保存・ストックしている情報や、ネットやSNS上でまとめられている情報、つまり口コミを参考にしているという調査結果もあります。*5
人と人との人間的なつながり。
人間中心のマーケティング。
それが高度にハイテク化された現在、新たな顧客層が求める重要な要素なのです。
デジタル技術とハイタッチをどうやって融合させ、顧客に感動的な体験を与えることができるか―マーケターの腕の見せどころは、そこにこそあるのではないでしょうか。
資料一覧
*1
フィリップ ・コトラー+ヘルマワン・カルタジャヤ+イワン・セティアワン 著 恩藏直人 監訳 藤井清美 訳(2017)『コトラーのマーケティング4.0 スマートフォン時代の究極法則』 朝日新聞出版(電子書籍版)No.463-512、No.402-414
*2
電通デジタル(2020)「デジタルネイティブ世代は “好きを極める消費”へシフト ―「コロナ禍におけるデジタルネイティブ世代の消費・価値観調査」実施―」pp.3-4
https://www.dentsudigital.co.jp/release/DD2020037_0928.pdf
*3
石塚しのぶ(2010)『ザッポスの奇跡 ~アマゾンが屈した史上最強の新経営戦略~ 改訂版』廣済堂出版(電子書籍版)pp.19-21、p.291
*4
Zappos “What We Live By Our Core Values”
https://www.zappos.com/about/what-we-live-by
*5
電通デジタル(2022)「デジタルネイティブ世代の「自己表現消費」傾向が強化 -コロナ禍で変化したデジタルネイティブの消費・価値観調査 ’21-」p.4
https://www.dentsudigital.co.jp/release/DD2022003_0119.pdf
横内美保子
横内美保子
博士(文学)。総合政策学部などで准教授、教授を歴任。専門は日本語学、日本語教育。 高等教育の他、文部科学省、外務省、厚生労働省などのプログラムに関わり、日本語教師育成、教材開発、リカレント教育、外国人就労支援、ボランティアのサポートなどに携わる。 パラレルワーカーとして、ウェブライター、編集者、ディレクターとしても働いている。